手を合わせるとは
前回に引き続き、法隆寺について。
法隆寺の境内はとても広く、仏像も多い。
似たような仏像を目にする。
ふと横を見ると友人は手を合わせていた。
だが筆者は友人が何に手を合わせているのか疑問を抱いた。
例えば東大寺の大仏は政変、疫病、自然災害を憂い、仏教を広めていく中で礼拝の対象として作られている。
だからこれに手を合わせることで救済を求めているというのはわかる。
しかし法隆寺は境内の中に似たような仏像が乱立している。
なぜここまで仏像コレクターなのか。
筆者は理由がわからないまま手を合わせることはできないと思った。
そこで仏教について知識がないながら、調べたことをまとめてみたいと思う。
以下、法隆寺のリーフレットを仏像に関する範囲で抜粋・要約、辞書による脚注追加、筆者の見解である。
用明天皇が自らの病気の平癒を祈り寺と仏像づくりを誓願。叶わぬうちに御崩御。推古天皇(用明天皇の妹)と聖徳太子(用明天皇の息子)がその意思を引き継ぎ、寺と本尊「薬師如来」を造ったのが法隆寺。
・金堂:
法隆寺の御本尊を安置する殿堂。聖徳太子のために作られた金銅釈迦三尊像*1、太子の父君用明天皇のために作られた金銅薬師如来座像*2、母君穴穂部間人皇后のために作られた金銅阿弥陀如来座像*3、それを守護するような四天王像*4、また木造吉祥天立像*5・毘沙門天立像*6が安置されている。
・五重塔:
釈尊の遺骨を奉安するためのもの。東面は維摩居士*7と文殊菩薩*8が問答、北面は釈尊が入滅、西面は釈尊遺骨の分割、南面は弥勒菩薩*9の説法が表現されている。
・大講堂:
仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設。正暦元年の再建の際に、御本尊の薬師三尊像及び四天王像が作られる。
・経蔵:
経典を収める施設。天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正と伝える坐像を安置。
・上御堂:
奈良時代、舎人親王の発願によって建立と伝えられるが、鎌倉時代再建。平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されている。
・西円堂:
橘夫人*10の発願により行基菩薩が建立。鎌倉時代に再建。ご本尊薬師如来坐像を安置。
・聖霊院:
鎌倉時代の聖徳太子信仰高揚に伴い聖徳太子の尊像*11を安置するため、僧侶の住居である僧房の一部を改造。
・大宝蔵院:
夢違観音像*12、推古天皇御所時の仏殿と伝えられる玉虫厨子*13、金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人の厨子、百万塔*14、九面観音像、金堂小壁画などを安置。
百済観音像安置。
・夢殿:
行信僧都が聖徳太子の遺徳を偲んで建てた伽藍、上宮王院の中心となる建物。聖徳太子頭身の秘仏救世観音像、聖観音菩薩像*15、聖徳太子の孝養像*16、乾漆の行信憎都像、夢殿を修理した道詮律師の塑像などが安置されている。
・伝法堂:
(参考文献:法隆寺リーフレット、日本大百科全書、新明解国語辞典、ブリタニカ国際大百科事典、デジタル大辞泉)
リーフレットを読むに、法隆寺に置かれている多くの像は誰か一個人のために作られたものであるということであった。
だから似たような像がたくさんあるのであろう。
それではこれらに手を合わせるということはその人の冥福を祈るということになるのだろうか?
そもそもこんなに近しい存在である寺で、なぜ筆者は「どうして手を合わせているかわからない」ということになってしまったのだろうか?
こうした疑問を持った時、大抵youtubeが疑問の答えとなりそうな動画をオススメしてきてくれるものである。
日本は日本神道に仏教を取り入れたり、廃れさせたりの歴史がある。
その歴史の結果、身近にあるのによくわからない仏教になってしまっているのだろう。
紹介されている本も取り寄せたので、よく読んでもう一度考えたいと思う。
終わりに
長きに渡る歴史を湛えた法隆寺。
日本における仏教の歴史に想いを馳せながら、巡られてみては如何だろうか。
ところで私ごとではあるが、視力がもっぱらに低下している。
先日受けた健康診断によれば、矯正視力で0.2出そうだ。
どうりで1m離れたところにいる人がのっぺらぼうに見えるわけだ。
いい加減直さなければならない。
*1:釈迦如来を中心に左右に脇侍の二菩薩を配置した形式。釈迦如来は悟りのための仏。如来は仏の中心、教理を説く者
*2:医薬に関する仏
*3:帰依すれば人生の終わりに来迎し極楽へ導く
*5:福徳の女神
*7:在家の仏教信者で菩薩。病で釈迦の説法に参席できなかった
*8:知性を司る。菩薩は如来を助ける、教理の実践面担当。見舞いの代表としてやってきた
*11:釈迦の前身である悉達太子の像であった半跏思惟像と重なり日本の釈迦と仰がれる
*12:悪い夢を見たときこの観音に祈ると良い夢に変えてくれるという江戸時代に書かれた古今一陽集に由来。観音は世の人々の音声を観じてその苦悩から救済する菩薩
*13:仏像を安置する仏具。透かしの金具の下に玉虫の羽が置かれている
*14:称徳天皇が藤原仲麻呂(唐制を採用した極端な儒教的政治形態を推し進めた人物)の乱平定の後に弘願(広く人々を救おうとする願)を発して製作した100万の小塔。塔身には陀羅尼経が収められる。陀羅尼は梵文を翻訳しないままで唱えるもので、不思議な力を持つと信じられている比較的長文の呪文
*15:本来の姿の観音のこと
*16:孝養とは自分と縁の深い故人の菩提(死後の冥福)を懇ろに弔うこと