ハルとツバメ

自分というフィルターを通して脚色した、物語的日記の世界。

京都国立博物館 〜戒律〜

とき

4月上旬、昼下がり。

青空と雲が五分五分の、穏やかな気候。

道中

京都駅を出て京都タワーを横目に直進。

東本願寺を右折。

約1.5km進んだところ。

右手には三十三間堂

そして左手にあるのが、目的地の京都国立博物館

 

そこまで地図を読んで、駅を出る。

この京都は碁盤の目。

方角を間違えることはなさそうだ。

そうはいっても方向音痴の鳥頭。

念には念を入れて、地図を頭に叩き込む。

 

京都駅前はバスターミナルやタクシー乗り場で先を見通しにくい。

京都タワー脇の道より少し逸れてしまった。

まあ、問題ないだろう。

旅館や居酒屋の並ぶ小道を進む。

大きな道に出たら右折すればいい。

中学の修学旅行で西本願寺前を通った時のことを思い出す。

 

が、一向にその記憶にある『大きな道』に行きあたらない。

左を向くと、一本向こうの道に、装飾的な建築群が見える。

二条城などにも似た豪奢な造り。

東本願寺に違いない。

どうやら進みすぎたようだ。

 

「それ、見ろ。

やっぱり間違えた。

だから地図通りの道を進まなければと思ったんだ。」

潜在意識が起き出して騒ぐ。

黙らっしゃい。

さっきまで寝ていたくせに。

 

気を取り直して、一度戻り、東本願寺の前で曲がる。

少し進むと、京都らしい柳をたたえた小川の流れが横切る。

そしてもう少し進むと大きな川、鴨川。

この流れ、見覚えがある。

もしや、友人が嘆く度に送って来る写真の風景か。

『嘆きの橋』と名付けて、心のメモ帳に記す。

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そのまま真っ直ぐ歩くと、博物館の敷地が見えてきた。

辛子色の大きなポスターが出迎える。

 

随分広い敷地らしい。

チケット売り場、そして受付。

妙な距離感を感じる。

進行方向はこれで合っているのだろうか。

つい挙動不審になる。

受付嬢が首をかしげているのがわかる。

 

敷地内の建物もやはり、妙な距離感。

「入り口はこちら」

小さな張り紙に胸をなでおろす。

 

展示会場である平成知新館は、目の前に水盤を湛え、ガラス張りのファサード

設計演習でこのような作品を提案していたクラスメイトを思い出す。

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左手は噴水。

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右手は煉瓦造りの明治古都館(旧 帝国京都博物館 本館)。

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平成知新館に入ると、

「突き当たりのエレベーターまでお進みください。」

と案内をいただく。

突き当たりを入るとお手洗いであった。

やはりこの博物館、少し難しい。

 

突き当たり、左手、手前とでも言おうか。

言い表しにくいところにエレベーターはある。

先ほどの挙動を見ていたのだろう。

「3のボタンを押して、閉めるのボタンを押してください。」

と、エレベーター前の案内の方が事細かに案内してくださった。

展示は3階から階を降りるように展開されていく。

 

概要

【特別展】鑑真和上と戒律の歩み

2021年3月27日〜5月16日

仏教徒が守るべき倫理規範、戒律。鑑真により日本に初めて伝えられたところから、その後の歴史までを、書・絵巻・像といった展示物と共に辿る。

ganjin2021.jp

 

感想

戒律というだけあり、特に前半は書物が多い。

返り点のあるものは時間をかければ読めないこともないが、ないものに至っては全くわからない。

「これだけ整った文字を間違えずひたすら書き続けた先人はどれほどの人なのだろう」と感心はする。

巻物はパソコンやスマホのようにコピペ・デリートもできなければ、原稿用紙のように破ってグシャグシャもできないだろうから、本当に不思議ではあるのだが。

 

やはり書物、仏像といったものの魅力がまだ分からない。

そこで全体を通して心に残った展示物2つを紹介する。

1.東征伝絵巻

鑑真が日本へやってくる様子を伝える絵巻。

船が難破する様子はもちろん、魚や鳥に導かれる様子、喉の渇きを癒した泉の話など、物語調で分かりやすく面白い。

特に魚や鳥の格好などは比率がおかしくファンタジーのように見ることができる。

2.手巾台

戒律を守れたかどうか、月に6回集まって反省会が行われる(六斎日)。

その際清めた手を拭くタオル掛けのようなもの。

1つめは質素であったが、時代が下った2つ目は装飾性が増している。

仏教は己と向き合うための宗教であると筆者は思っているが、こういったところに人間らしさが現れてしまうという面白みを感じた展示品。

 

終わりに

今年は戒律運動に関わった東大寺の凝然国師没後700年。

寺院は身近でありながらも、仏教の歴史をあまり知らないという方も多いのではないだろうか。

仏教のキーワードの1つ、戒律。

またそんなところにすら現れてしまう人間味。

その一端に触れに足をお運びいただけたらと思う。