とき
三月下旬。
急な春の訪れに、佐保川の桜なども三分ほど咲き始めた頃。
雨上がりの昼下がり。
珍道中
大和小泉から、のどかな道を2kmほど歩く。
駅前の商店街には、『スナック』、『カラオケ』といった言葉が散りばめられて、昭和レトロの残り香が漂う。
今にも花柄エプロンにパーマ姿のご婦人が昼ドラばりのご近所相関図を暴露し始めんばかりの風景。
また富雄川の河川敷には、背の丈をゆうに超えるような葦や育ちすぎた菜の花。
歩道にしては人の身幅もない白線の内側を平均台のようにして歩くが、所々アスファルトを突き破る頑丈な草花の類、足場が悪い。
Googleマップに従い道のりを行くと、境内駐車場にたどり着く。
「こちらからは入れません。寺務所へお回りください。」と看板。
ぐるりと回り入口を目指す。
境内の周辺を取り囲むのは、みな立派な一軒家。
どの家も塀で囲まれてはいるが、庭から顔を覗かせる梅や木蓮が美しい。
曇天を背に雨水滴り落ち、殊更に色が映える。
回っていくうちに方向感覚が失われる。
太陽が出ていないのだから尚更。
方向音痴が言い訳を言っているのではないよ、もちろん…。
「近くに焼肉屋があるはず。」と同行者。
「しまむらが見えたら間違いないよ。」と自分。
「あった!!!」
いや、我々が向かうべきは、お茶室なのだが。
「ホームページの地図によれば石畳の道を進むそうだが、しかしこの辺りに石畳の道なんて…。」
そう呟いて振り向くと、大きな看板に矢印、『慈光院』。
参ったなぁ。
境内
看板を横目に、石畳と椿の生垣の道を進むと右手に入口が現れる。
この入り口を入ると、両側に背丈ほどの土が盛られて、木の生い茂った、一面暗緑の世界。
木漏れ日を頼りに静かな小道で歩みを進めると、茅葺き屋根の茨木城楼門が現れる。
この稲穂色の楼門をくぐると、目の前が開けて明るくなる。
一度暗がりを進んで、また明るい世界に出てくることで、街中とは違う世界へと誘われた心地がする。
これがおもてなしか。
右手に伸びる書院への道は塞がれている。
左手の道が寺務所に繋がっているようだ。
玄関で、「傘と靴を置いてください。」と声がかけられる。
ここでまたも視界の狭さが発揮されてしまう。
どんぐりの入った桶に傘をぶっ刺そうとしてしまい、慌てた声がかけられる。
「どんぐりの方じゃありませんよ。」
どうも、失礼致しました。
案内をいただき書院に入ると、かの有名な庭園が目の前に広がっている。
低い鴨居と水平方向にのっぺりとした刈り込みは、その奥にある景色ともよく調和している。
庭園を眺めていると、先ほどの方がお菓子を持ってきてくださった。
『割羽違い』という名のこのお菓子は、片桐家の定紋をデザインしたもので、外側は砂糖と餅米、内側は餡のユニークな作りだ。
言葉
さて、ようやく本題に入ることができる。
お抹茶をいただくにあたり、我々は「お点前頂戴いたします。」といつものように言った。
しかし、ここで注意をいただいた。
「それは失礼ですよ。」
まさか、いつもお稽古やお茶会で使っている言葉が間違っていたなんて。
「『点前』とは何か知っていますか。これは目の前でお茶を点てることです。つまり、「お点前頂戴いたします。」と言うのは目の前で点ててもらった時だけです。
それから、お軸の読み方が分からない時に、「どうぞお読み上げください。」とおっしゃる方がいますね。でも漢文は読み上げるのではなく読み下すものです。『読み上げる』では大きな声で読むといった意味になってしまいますよ。
また、手水鉢の背の低いのはしゃがんで使うから蹲と言うのを知っていますか。それで背の高いのを立ち蹲と呼ぶ方がいます。でも、這い蹲って使うから蹲と言うのに、立って使うものも蹲と呼ぶのはおかしいですよね。
間違った言葉を正しいかのように使ってしまうのは恥ずかしいことです。ですからこの言葉はどういった意味で使っているかと一度考えてから使われるといいですよ。
いや、余計なことを言いましたね。」
いえいえ、とても勉強になります。
これまで自分のことを、おかしいことには「おかしい」と声を上げられる人間だと思っていた。
生徒会ではジャージを変えるために奔走したし、部活動ではマニュアルの改善に力を尽くした。
だが、茶道のことだとなんでも鵜呑みにしてしまっていた。
気づいていない自分の一端に気付かされた瞬間だった。
本堂
お抹茶をいただき一息いれた我々は、奥の本堂へ向かった。
創建当初については不明で、現在のお堂は昭和の再建だという。
建物自体は長方形であるが、仏像が安置されている空間は黄金比の正方形に感じられた。
天井に描かれた龍が印象的であった。
視力が悪く中までよく見えなかったことと、仏像についての知識がないことが悔やまれる。
終わりに
茶道をしているからには縁の地を訪問したいと訪ねた場所で、思いもよらない知見を得ることができた。
お近くにいらした際は、是非足を運ばれてみては如何だろうか。
暗緑の小道の先に差す光が、あなたに安らぎと新たな世界を届けてくれるかもしれない。